希望と恐怖のカンケイ
先日ハンガーゲーム3を見た。
映画はレンタルビデオで見る派の私が、唯一欠かさず映画館でみるのがこの「ハンガーゲーム」シリーズ。
舞台は近未来。12の地区からなる国で1年に1度、ハンガーゲームが行われる。ハンガーゲームとは、1つの地区から男女の子どもが1名ずつ選び、計24名が1名の勝者がでるまで殺し合いをするゲーム。
ハンガーゲームが行われる理由は、「戒め」のため。かつて13地区が独裁政権への反乱を起こし全滅した。多くの人々が亡くなり、その反乱を二度と起こさないため毎年ハンガーゲームを行ってるのだとか。
媚びない主人公カットニスと恐怖で操る独裁政府との戦い。
もうハンガーゲーム3はね、鳥肌ものでした。1と2を見てないとわからないと思うので興味がある方はぜひ1と2を見てからご覧くださいませ。
さて、ハンガーゲーム3を見て感じたことを。
| 希望と恐怖のカンケイ
ハンガーゲームでは希望と恐怖を常にテーマとして入れている。
「鞭打ちや規制をどれだけ厳しくしても、人は希望さえあれば恐怖に打ち勝てる。」
このメッセージを聞いたとき、私の頭上にはクエスチョンマークが浮かんだ。私には恐怖しかなかったからだ。
鞭打ちがなくても、規制がなくても、縛られてなくても、恐怖が常に勝っていた。なぜ平和な毎日で生きることに困っていないのに恐怖しかないのだろうか?きっと毎日が平和だからだ、毎日がシアワセだから。
しかし、恐怖に心を支配され日々のシアワセをかみしめられずにいた。
「将来どうしよう、何もしたいことがない、どこにも就職できなかったらどうしよう・・・」
そんな不安や恐怖に押しつぶされて、
「私は何者でもない、つまり何者にもなれるのだ!」
と希望を持てなかった。
でも今は、希望を持った。そして恐怖もない。
なるほど、確かに希望さえあれば恐怖はないのかもしれない。
| 希望を持つ方法
では希望を持つにはどうすればよいのか?
正直、今のわたしにはその方法がわからない。
人生山あり谷あり、その言葉の通り沈むときありゃうまくいくときもあると思う。
希望の持ち方が絶対的普遍的にあるとしたら、日本の自殺率も0%になっているし。
ただ、今思うのは、希望はカテゴリー別にあるということ。
人生というカテゴリーで希望が持てないなら、スポーツしてみてそこで希望持ったらいいし。
仕事というカテゴリーで希望が持てないなら、カラオケというカテゴリーで希望が持てるかもしれない。
わたしの思う希望の持ち方は、自分が希望が持てる環境を見つけること。
自分の希望の選択肢を増やせば増やすほど、希望は見つけやすくなり、恐怖に勝ちやすくなると思う。
| 将来への不安という恐怖の対処法
将来に対しての不安は、希望の選択肢を増やしても増やしても先延ばしに感じるもの。
将来への不安という恐怖に打ち勝つには、将来への希望を持つ他ないと思う。
それには、自分を知る作業が必要不可欠。
自分が何をしたいのか、どういう環境が向いているのか・・・自分を知る作業が必要。
それは食べ物と一緒で食べてみないとわからない。やってみないと自分が何をしたいのかわからない。触れてみないとどの環境が向いているかわからない。
就活での自己分析は多くの場合、過去から分析する。確かに必要だし、わたしも相当やった(笑)
でも多くの場合、過去の材料が少なすぎる気がする。だから、今のわたしには「やってみないとわからないし、触れてみないと温度なんてわからない」
よく大学生はやりたいことがない病にかかりやすいと言われている。
それは当たり前だと思う。高校まで与えられたものをこなして成績をあげておけばそれでよかった。
高校から急に手放しになって、
「さぁ、自ら学びたまえ!!飛び立ちたまえ!!」
なんて手放しでいわれても、自分で学ぶすべを知らない状態だから「あぁ、やりたいことなんてみつからない…どうしたらいいの?わたしダメだ…」なんてなりかねない。
指定された教科書を買うのではなく、自分から教科書を選ぶことになる。その意識を持っていないと本当に学べなくなる。
自分で学びたいものを見つけるには、学んでみるのが一番、やってみるのが一番。それはなんだっていい。
バイトでもいいし、インターンでもいいし、最初はなんでもいいと思う。
ただ、やりたいこと、なりたいものに出会えていない状態なだけ!
まず行動する、これが大学生活の充実さを大きく変えてくれるのでは?と思う。
というわけで、これからぼちぼちアウトプットしていきます!