22歳になって感じた最初の感情は、感謝だった。
22年前の15:59、兵庫県の高砂市民病院で横山円は生まれました。予定日1週間を過ぎてもでてこなかったので、栄養をたっぷり吸収しすぎたぶくぶく赤ん坊でした(笑)
世界が円のようにまあるく平和に治まりますように、そんな願いを込めて「円」と名付けられ、22年間まるまると成長してきました。(笑)
皆さんそうかもしれませんが、小さい頃は誕生日が大好きで大好きで1年で一番幸せな日でした。様々なことを肯定的にとらえられる日。梅雨の時期だけど晴れていたら、自分のために太陽がお祝いしてくれていると思うし、雨だったらアジサイの雫が自分のためにお祝いしてくれていると思ってた。
誕生日を迎えるたび、さまざまな感情が押し寄せてきます。
6歳になったときは、小学生になれてうれしいとか。15歳は照れながらでも嬉しかったりとか。18歳は受験の中ケーキを食べれて美味しかったとか。
基本的に「喜」の感情だったんですね。
でも今日、日付をまたいで感じたことは「感謝」でした。
| 22回目の誕生日で初めて「感謝」を感じた3つの理由
① 自分は一人じゃない、と知ったから
21歳、自分を見つめなおす年でした。就活の自己分析とやらで自分の過去を見つめなおしたんです。
ここまで本気で向き合ったのは、今回が初めて。カフェで1人涙を流しながらノートに自分をぶつけたこともありました。
自分の過去、つまり母と父に愛され育てられた記憶を掘り起こすのです。
わたしは、21歳まで愛を全く感じれない野郎でした。…というのも、母の愛の深さに全然気づくことができなかったから。父の愛情の深さに目を背けていたから。
愛がほしい愛がほしいと心の底では思っていて、愛を与えてもらっているのに、その愛に気付いていないから、いつまで経っても愛に飢えている、そんな状況でした。
でも、
私愛されていたんだ、そして今も深く愛してくれているんだ!だから今生きてる!愛を感じることができなければ、どれだけ愛を与えてくれても満たされないんだ!愛に気付こう!
そう思うことによって、過去に感謝できるようになったのです。
過去は変えられない、でも解釈は変えられる。本当にその通りで、今までのネガティブな過去すべて感謝できるようになりました、これホント自分でもびっくり。
涙ながらに、お母さんにラインで感謝の気持ちを伝えたことも覚えているし(母電話にでかった(笑))、父にメールしたのも覚えているし、恨みを覚えていた人を許せたし、いろんな負のエネルギーから解放されてとっても楽になった☆
自分は一人じゃない。心にポッカリと空いてた穴が埋まった気がした。
② 自分を認める準備ができた
自分を認めてはいけない概念にとらわれていて、どうやって認めればいいんだ!と悩んでた私が、出会った衝撃の言葉。
「自分にしかできない自分だけの価値を創造することができれば、この地球に生きていい」
この考えに出会って、幼稚園児の自分を思い出しました。
幼稚園児の時、ずっと人生について考えていたんです。人はなぜ生きるのか、生は受動的で自分が人間に生まれたのは選択ではなく、生まれさせられたのだと。
どうせみんな死ぬのに、なぜそんなに必死で生きて、毎日を繰り返すのだろうかと。人生は究極の遠回りのように感じていた。
そしてその遠回りの中で、どんなものを残すのか、これが人生なのかな~と思っていた。
でも残すも何も、自分の周りにいる人に何かを残せるくらいで、そんなに大したことをしない気がした。
リンカーン大統領やキング牧師みたいに何かすごいことを成し遂げる人以外生まれてくる意味なんてあるの?影役者なの?誰かを支える人生なの?なんなのなんなの?ってもうよくわかんないループに巻き込まれるような。
それからもなぜ生きるのか、そしてなぜわたしはわたしとして生まれてきたのか、そんなことをずっと考えていた。
そしてあの言葉に出会って「なるほど、そうか!わたしがわたしに生まれてきたのはわたしにしか生み出せない価値がある。そしてその価値の大きさは地球レベルなのだ」と。
まあるく円と名付けられた。その時からすこし地球を意識していたのかもしれない、なんてことも考えたり(笑)
今までは、モノを与えられ消費する側だったから自分の生きる価値がわからなかったんだ。そして今から自分の生きる価値を発信する側になるのだ。
だから、今まで自分を認められなかったのは仕方がないんだ。今から自分だけの価値を生み出し、自分を認められるようになるのかもしれない
そう考えた私は、自分を認める準備ステージに入ったのかな~と。もちろん親が与えてくれた愛を感じることで自分を認められるようになったのもあります!!
③ 母の偉大さ
母の偉大さに感謝できるからです。
誕生日前日、尊敬している方や素敵な彼氏から言われたんです。「円は良い母親になるよ」と。
びっくりしました。全然思ってもみなかったからです。私には、良い母親になる自信が全くありません。
なぜなら、わたしの母が素晴らしすぎるからです。母以上の母になれない、と思うからです。
母の愛の深さたるもの、すごい。母の様に大きな愛で包み込むことができるのかな~とずっと不安に感じています。
母親業って本当に尊敬します。無償の愛です。貢献です。心です。
まだまだ準備はありませんが・・・でもいつか母みたいな母になりたいと思います。自信ないけど、すばらしい見本に22年間育てられたので、出来る気もします!
というわけで、本当にいつもみなさんありがとうございます!!これからも横山円を宜しくお願いします!!
今人生のイキイキ族!(笑)
クレヨンしんちゃんのしんのすけ言葉が胸に刺さるワケ
最近クレヨンしんちゃんにハマっています。
幼い頃わたしは留守番っ子だったので、ヘンダ―ランドや暗黒タマタマ~などしんちゃんのビデオを繰り返し見てた記憶が鮮明に残ってます。
20歳超えた今見返してみても、本当に良い。きっと感じ方が違うんだろうな~と思う。クレヨンしんちゃんのどこがいいって、言葉がいい。言葉のチョイスがツボ。
確かにしんちゃんはお下品だけれど、言葉にあるパワーを秘めている。
カザマ君は耳に息を吹きかけられてもしんちゃんの友達でいて、まさおくんがおにぎり呼ばわりされても友達でいて、ネネちゃんがうさぎをぶんなぐるほど彼にイラついても友達でいて、ボーちゃんがいつも迷惑かけられても友達でいるのは、しんちゃんが常に大切なことに気付いていることを知っているからだと思う。
そう、しんちゃんの言葉には人の心を動かすパワーがある。
今日は、私が感じたちょっとおバカなパワーの言葉をご紹介します。
|1、「それほどでもないゾ~」
これは私個人的にツボな言葉。しんちゃんが何か失敗した時や怒られた時に
「それほどでもないゾ~」
「褒めてないって!」
というお決まりの流れ。
しんちゃんは、自分が悪いときに限ってこの言葉を言うんですよ。つまりわかっているんですよ、褒められることをしていないって。なのに
「それほどでもないゾ~」
――――― なにこのポジティブ。
このそれほどでも~っていうのは怒られるときに「あんたの【おかげで】○○じゃないの~」て言われて、このおかげというワードから褒められるという解釈にリンクしているそうな。
小さい頃は、この言葉に対して笑っていたけど、今考えてみるとどういう風に考えたらそんな逆転の発想ができるんだ!!
しんちゃんは、逆転の発想をする天才なのかもしれませんね。
わたし激ネガティブシンキングの持ち主ですが、もししょげるときがあれば
「それほどでもないゾ~」
と小さくぼやいてみます。そうしたら何か晴れそう(笑)
|2、「ねえねえお姉さん、納豆にネギ入れるタイプ~?」
納豆大好きしんちゃん、綺麗なお姉さんに声をかける時は基本的にこのセリフ。
興味がなくても反射神経で答えてしまうかつどうでもよい質問、深いようでめっちゃ浅い質問をさらっと第一声に選んでしまうあたりに言葉のセンスを感じる。
ナンパは未経験なんですけど、集客等で知らない人に声かけることは何度もありました。
でも第一声にこの「お姉さん、納豆にネギ入れるタイプ~?」っていう質問はしたことなかった。
しんちゃんは、あくまで5歳児。5歳児のワールドの中で自分の経験の中から、かつ相手が答えやすいようにイエスノーで答えられる質問をしている。5歳児のワードをあえて使うことで子どもという武器を使っている。そして、普段聞かれないような質問をすることで思わず振り向かせてしまう。
また、カザマ君たちがしんちゃんにどうしてお姉さんに声をかけるのかを聞いたさいの言葉にも驚かされる
「からだがかってにうごいちゃうんだゾ~」
もう、考えることがない。山がそこにあるから登るように、そこにお姉さんがいるから声をかける。自分の欲求を満たすための一心不乱な姿勢、恐れ入った。
いつか言ってやる。「からだがかってにうごいちゃうんだゾ~」
|3、「ずるいゾ!」「お前えらいんだろ?だからこんなことになったんだぞ!なのに逃げるのか?全部お前のせいでこうなったんだぞ!逃げるなんて許さないぞ!」
ちょっと2つ目まではおバカ要素が強かったですが、最後は映画のクライマックスシーンから。
「ずるいゾ!」は大人帝国の逆襲の映画から。過去に生きるために侵略を企んだ敵がしんのすけ達の未来に生きる姿勢に完敗し、自殺を試みたその瞬間に発した言葉。この言葉によって自殺を思いとどまる。
そして「お前えらいんだろ?だからこんなことになったんだぞ!なのに逃げるのか?全部お前のせいでこうなったんだぞ!逃げるなんて許さないぞ!」は戦国大合戦の映画から。敵の殿様が自国の負けの可能性が見えて、部下を捨てて自分だけ助かろうと逃げようとする場面にて。
人は逃げたくなる、恐怖や不安から。自分を守るために逃げようとする。でもそれはずるい。
おもちゃは散らかしっぱなしのしんちゃんだけど、責任を逃れようとしたり、いろんな人を巻き込んでいるのに逃げようとする人は許さない。だっていけないことだから。
なぜしんちゃんの言葉が響くのか、パワーを秘めているのか、それは心の底では自分が間違っていることを知っているから。
自分でも分かっているけど、逃げる選択をしたいがために正当化するために理由を必死で探し、良心を何枚もの理由で覆い隠す。そして逃げることしか自分には見当たらないと思いこませる。
でもその何枚もの理由をさらけ出させることをちゃんとズバッと言ってくれるのがしんちゃん。
しんちゃんは周りを気にしない、思ったことを言う、そして純粋無垢で人を思いやる気持ちが深く、大切なことは何かをいつも知っている。だから、真似できない彼にしか言えない言葉がある。だから彼にしか伝えられない誠意がある。だから、彼の言葉は心が動く。私はそう思う。
カザマ君が耳に息を吹きかけられても友達でいるのは、しんちゃんの友達を思いやる心を知っているから。
マサオ君がおにぎりと呼ばれてもしんちゃんを頼るのは、しんちゃんの動じない姿にあこがれているから。
ネネちゃんのリアルおままごとに付き合ってもらえなくても友達でいるのは、家族を思う気持ちを知っているから。
ボーちゃんがいつも鼻水を使ってしんちゃんを助けるのは、しんちゃんが大切な人を守るために戦う正義のヒーローだと知っているから。
私は、しんちゃんってすごいと思います。目指せしんちゃん!
希望と恐怖のカンケイ
先日ハンガーゲーム3を見た。
映画はレンタルビデオで見る派の私が、唯一欠かさず映画館でみるのがこの「ハンガーゲーム」シリーズ。
舞台は近未来。12の地区からなる国で1年に1度、ハンガーゲームが行われる。ハンガーゲームとは、1つの地区から男女の子どもが1名ずつ選び、計24名が1名の勝者がでるまで殺し合いをするゲーム。
ハンガーゲームが行われる理由は、「戒め」のため。かつて13地区が独裁政権への反乱を起こし全滅した。多くの人々が亡くなり、その反乱を二度と起こさないため毎年ハンガーゲームを行ってるのだとか。
媚びない主人公カットニスと恐怖で操る独裁政府との戦い。
もうハンガーゲーム3はね、鳥肌ものでした。1と2を見てないとわからないと思うので興味がある方はぜひ1と2を見てからご覧くださいませ。
さて、ハンガーゲーム3を見て感じたことを。
| 希望と恐怖のカンケイ
ハンガーゲームでは希望と恐怖を常にテーマとして入れている。
「鞭打ちや規制をどれだけ厳しくしても、人は希望さえあれば恐怖に打ち勝てる。」
このメッセージを聞いたとき、私の頭上にはクエスチョンマークが浮かんだ。私には恐怖しかなかったからだ。
鞭打ちがなくても、規制がなくても、縛られてなくても、恐怖が常に勝っていた。なぜ平和な毎日で生きることに困っていないのに恐怖しかないのだろうか?きっと毎日が平和だからだ、毎日がシアワセだから。
しかし、恐怖に心を支配され日々のシアワセをかみしめられずにいた。
「将来どうしよう、何もしたいことがない、どこにも就職できなかったらどうしよう・・・」
そんな不安や恐怖に押しつぶされて、
「私は何者でもない、つまり何者にもなれるのだ!」
と希望を持てなかった。
でも今は、希望を持った。そして恐怖もない。
なるほど、確かに希望さえあれば恐怖はないのかもしれない。
| 希望を持つ方法
では希望を持つにはどうすればよいのか?
正直、今のわたしにはその方法がわからない。
人生山あり谷あり、その言葉の通り沈むときありゃうまくいくときもあると思う。
希望の持ち方が絶対的普遍的にあるとしたら、日本の自殺率も0%になっているし。
ただ、今思うのは、希望はカテゴリー別にあるということ。
人生というカテゴリーで希望が持てないなら、スポーツしてみてそこで希望持ったらいいし。
仕事というカテゴリーで希望が持てないなら、カラオケというカテゴリーで希望が持てるかもしれない。
わたしの思う希望の持ち方は、自分が希望が持てる環境を見つけること。
自分の希望の選択肢を増やせば増やすほど、希望は見つけやすくなり、恐怖に勝ちやすくなると思う。
| 将来への不安という恐怖の対処法
将来に対しての不安は、希望の選択肢を増やしても増やしても先延ばしに感じるもの。
将来への不安という恐怖に打ち勝つには、将来への希望を持つ他ないと思う。
それには、自分を知る作業が必要不可欠。
自分が何をしたいのか、どういう環境が向いているのか・・・自分を知る作業が必要。
それは食べ物と一緒で食べてみないとわからない。やってみないと自分が何をしたいのかわからない。触れてみないとどの環境が向いているかわからない。
就活での自己分析は多くの場合、過去から分析する。確かに必要だし、わたしも相当やった(笑)
でも多くの場合、過去の材料が少なすぎる気がする。だから、今のわたしには「やってみないとわからないし、触れてみないと温度なんてわからない」
よく大学生はやりたいことがない病にかかりやすいと言われている。
それは当たり前だと思う。高校まで与えられたものをこなして成績をあげておけばそれでよかった。
高校から急に手放しになって、
「さぁ、自ら学びたまえ!!飛び立ちたまえ!!」
なんて手放しでいわれても、自分で学ぶすべを知らない状態だから「あぁ、やりたいことなんてみつからない…どうしたらいいの?わたしダメだ…」なんてなりかねない。
指定された教科書を買うのではなく、自分から教科書を選ぶことになる。その意識を持っていないと本当に学べなくなる。
自分で学びたいものを見つけるには、学んでみるのが一番、やってみるのが一番。それはなんだっていい。
バイトでもいいし、インターンでもいいし、最初はなんでもいいと思う。
ただ、やりたいこと、なりたいものに出会えていない状態なだけ!
まず行動する、これが大学生活の充実さを大きく変えてくれるのでは?と思う。
というわけで、これからぼちぼちアウトプットしていきます!